銀座泰三

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help リーダーに追加 RSS 祇園祭りの思い出

<<   作成日時 : 2008/07/18 17:29   >>

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昨日は炎天下でも祇園祭のクライマックスである山鉾巡行でした。
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/gion/gion.html

今年も東京におりましたので、ここ何年も見に行っていません。
この祭りは本当は31日までありますし、昔は24日には後の祭りといって、山鉾巡行もありました。
今では17日に、後の祭りの鉾や山車も一緒に巡航してしまいますので、それが終わると、すべて解体してしまい、何となく祭りが終わったような感があります。

今は24日には、花笠踊りの行列や昨日神社から担ぎ出された神輿が市内をめぐってから帰る還幸祭は執り行われています。

ところで私が小さい頃(今から半世紀も前になります)は、今と巡航の道も違いましたし、もっとおおらかなもので、現在のようには厳重な警備もありませんでした。

私が通っていた小学校の学区には鉾町(鉾や山車を持っている町内)も含まれており、級友が鉾に乗っていました。
私は良く鉾にくっついて回ったのを覚えています。そのとき傘を広げて反対向けにして、上の級友から粽を投げてもらうのです。
当時の粽は中身も入っており食べられました。今は単なる飾りです。

祭りを見る人も増え、粽を投げると取り合いで危険だというので、今では粽を鉾から投げるということは有りませんし、もちろん鉾の周りに近づくことさえ出来ません。

ただ眺めるだけで、昨日のように酷暑の中ではとても最後まで見ていられません。
32基あり、先の祭りの山鉾の後に後の祭り分がくっつくのです。

御池通には有料の観覧席があって、観光客が見ていますが、団体観光の人は昼食の時間が来るとそれで帰ってしまいます。
何となく情緒が無くなったと慨嘆しています。

鉾町は昔は和装関連業者で成り立っていましたし、私の知っている人もたくさん鉾に乗ったり、役員で付いて回ったりしていました。
近年はそれが倒産廃業で、マンションばかりになってしまい、運営上の大きな問題になっています。


私は見るときは御池通で、来る山鉾の知人友人に声をかけてあげるのですが、だんだん世代も変わって知っている人も少なくなって来ました。でもまだ全体の半分以上の山鉾の役員には知っている人が歩いています。

声をかけると、鉾からは撒いてはいけないのですが、知り合いにだけ特別に扇子に載せて粽を持ってこられます。

ですから最後までいて声をかけていると、10数本の粽を頂き、周りの人に羨ましがられるので、最近はそこそこにして帰りまあす。何となくくれといっているようで恥ずかしいですからね。

昔は各家も、今のようにビルではなくて、しもた屋で、提灯をぶら下げて、外に床机を出して夕涼みをしていたり、知り合いがくると酒などを振舞っていました。

今でもあるにありますが、昔のような風情や情緒や祭り気分はありませんね。
いつもこの頃になると、当時の和装業界全盛の頃をつい思い出してしまいます。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
3年程まえの「洛趣会」の展示で、どこの会社だったか忘れましたが
祇園祭りの鉾と町家を精巧に作って出品されたところがありました。

普通だったら鉾を前にだすのですが、それは町家と町家のすきまの路地から
鉾がみえ、鉾の飾りがもちろん屋根瓦よりうんと上です。

「鉾巡幸はこういう角度で見るのがいいのですね」と言いましたら
「そうなんですよ!この家と家の間からさっと見えるのが、本当によかったんですよ!!」
と、その会社の方がおっしゃいました。

ビルが多くなると、変わりますね。
七兵衛
2008/07/18 21:22
現在では新町通りを帰っていくときには多少そういう感じになりますが、昔は寺町通りも今のようにアーケードが無く、しかもほとんどが二階家で、その間を鉾通っていきました。
二階で見ていると鉾の囃子と同じ目線になり、鉾からその2階に向けて粽が飛びました。風情ある良い時代でしたね。
銀座泰三
2008/07/18 23:39

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